歌えない時

母の葬儀が、終わり、声を出そうと思っても、出ない!

母は、私が、子どもの頃、合奏コンクール、

合唱コンクール、ピアノコンクールなど、

私のためについて来てくれた。長時間、待たされることの多かったのに、いつも、嬉しそうで、しんぼう強く待っていてくれた。

少し大きくなると、クラシックコンサートに、ついて来た。しかし、聞いていたことは、なく、ホールに着くなり、眠っていた。

私が、喜んで聞いている姿を見るだけだった。

本当に、過保護の私。一人で行けるところまで、ついて来た。

そんな母の葬儀は、感謝、感謝、です。

大切に育ててもらった。勉強好きの私には、

勉強しなさいとも、言ったこともなく、

ご飯を食べなさいと、言った。学校から帰るとすぐに、ピアノの練習できるよう、部屋の温度、ピアノのふたをあけて、テキストを用意していた。必ず、父が、消灯に来るので、勉強は、時間との戦いだった。

規則正しい生活をする事、手作りの食事をする事、本や新聞を読むことなど、習慣づいていた。大人になると、仕事から、帰り、新聞タイムで、リフレッシュした。

母や姉たちも本好きで、両親の目の良さ、耳の良さは、受け継いでいる。そして、父は、絵を描くのが、上手だった。

父の絵を棺に入れた。どうか、会えますように。と願っている。

声は、精神的ものが、すごく影響するものなのだ。声が、出ますように。